鯖街道を往く 京は遠ても十八里
 管理人の友人である中西氏から、昨年末に「鯖街道を一日で京都まで」・・・歩きませんか?というお誘いを受けたのが
今回のplanの発端です。大学時代:山岳スキー部同期の浅井君に話してみたら、彼は即「行こう!」。
よく考えりゃ・・・健脚の度合いは、中西さん、浅井君に比べ我輩は・・・「牛」である。
それからというもの・・・京都一周トレイルで黙々と「牛」から「駄馬」へと脱皮を図っていました。

 最も盛んに利用されたのが、小浜から上中町熊川宿を経由して滋賀県の朽木村を通り、京都の出町柳に至る「若狭街道」。
しかし、われわれの計画は通常二日で歩くところを一日でやり遂げよう?という壮大な??計画。
当然、最短距離のルート・・・「根来坂越え」の峠道を選択しました。(下記の地図参照)
小浜から京都(出町柳)までの間に「おにゅう峠」、「久多峠」「花背峠」の三つの峠を越えなければなりません。
 事前に、久多峠までは「雪」の下調べはしておいたのですが・・・・「おにゅう峠」の残雪は計算外でした。

2008年3月30日午前2時50分 小浜市遠敷(おにゅう)出発。
 
いずみ町商店街にある「鯖街道起点」。
往時はこのような格好で背中に「鯖」を担ぎ京都までの
道のりを往来した。京都に着いた頃には丁度いい塩加減になっていたそうです。
3月30日午前2時50分、小浜の遠敷(おにゅう)を出発。
 人気のない深夜に、暗闇の道をヘッドランプに懐中電灯で道を確認しながら三人は歩く。
これ・・・一人じゃ怖くて歩けない!と思った。
 奈良東大寺二月堂のご本尊にお供えする閼伽水(あかすい)を送る奈良時代から伝わる神事。その昔、東大寺大仏開眼供養の際に実忠和尚が日本中の神々を勧進したところ、若狭の遠敷明神が漁に夢中になって遅れてしまい、お詫びとして閼伽水を献じる約束をしたことが始まりです。
 3月2日、大護摩の炎と煙が立ち込める中を、お香水を「鵜の瀬」へ注ぎます。
真っ暗闇のなかを歩いていますと、時々何だろう?と思う物があります。
ライトを当てると突然このような「挿絵?」が道路横のコンクリート壁に現れる。
我々三名は快調なペースで「忠野」〜「下根来」〜「上根来」・・・
上根来の高台にきて、暗闇の空が白けてきました。
スタートから10キロ。所要時間2時間20分。海抜418米。

 こんなに山奥でも生活があるんだなぁ〜と改めて社会勉強する。

それぞれが・・・どのような気持ちで歩いているんだろう?
少なくとも私は、「以外と行けるかも?」と感じた。
だが、何故か口には出さなかった。
この時には、行く手に「残雪」があるとは夢にも・・・・・・・・・
尾根道に上がったところで「朝食」を取る。AM6:00。
今回は、長距離を歩くという事なんで、荷物は可能な限り減らして
います。だから、朝食もコンビニのパン、おにぎり・・・そして「水」。
 こんな場所で「華麗なる朝食」を食べたいとは思いませんでした。

浅井君の気合十分ないでたち。手に持つのは彼自作の「仙人杖」。
最初の峠(おにゅう峠)の上りに入るなり・・・・・かなりの積雪の道に遭遇する。
中西氏と浅井君
残雪を避けて路肩を行く
正直、これだけの残雪が峠付近に残っているというのは
我々の計算外でした。
 また、この時期の残雪はOB各氏ならご存知でしょうが
水分の多い、重たい・・・たちの悪い雪です。

 結果、残雪との「お付き合い」は、峠下の滋賀県「小入谷」
までの2時間半・・・・ズボ!ズボ!の繰り返し・・・
 軽量化の為に、三人とも靴はWALKING用の靴。
三人の足は・・・想像にお任せします。
 あとになって、この時間ロスが京都市内に入れなかった原因の
ひとつであります。
雪を避けてガードレールの外を歩こうとする・・・・管理人。
上二つの写真は林道を歩いている場所ですが、この「根来坂越え」は
林道を出て再び山道(左上の写真)へという繰り返しが何度かありました。そして要所には、迷わないように左の写真のような標示がありましたが
このように半分近く雪に埋もれておりました。
 
今回のルートでの最初の峠「おにゅう峠」に到達。
時間Am7:15 。出発して4時間25分。天気は曇り。
 ここから「百里ヶ岳」への登山道があるが、我々は滋賀県側に下り小入谷を目指す。
DASCOB同期生の浅井君と小笹です。
この「おにゅう峠」が福井県と滋賀県の県境になっています。
これから滋賀県側に下山が始まります・・・・この写真では分かりませんが、我々の足元には残雪があるんです。
 しかし、お互いに「山岳スキー部」を卒業して40数年。年行きました。
ただし、やることは「青春」です。
おにゅう峠からは、麓の滋賀県小入谷まで下りばかり、さらに遥か彼方の「久多峠」までは、車道の平坦路が続く。
 ここ「焼尾地蔵」はおにゅう峠から40分ばかり下った所。
AM7:55 海抜720米。
 浅井君愛用の仙人杖の足元には依然として「残雪」が・・・・
ここは滋賀県側・・・小入谷村。日本昔話に出てくるような里でした。
やっと「ひと山」越えて滋賀県側の里、「小入谷村」へ降りてきました。
 我々三人はここで腰を据えて、残雪と雪解け水で増水した川を渡ったおかげで、濡れた靴を脱ぎ濡れた靴下をおもいきり絞る。どうせ「靴」はじゅくじゅく・・・・絞った靴下を再度履いて・・・・靴を履く。

 ここからは、延々と京の都まで約50キロの「車道」を歩くのです。

いよいよ三者三様の歩行が始まりました。
中西氏は、回転の速いピッチ歩行。
浅井氏は、グイグイと力で押すような歩行。
ここにきて、常に私は二人に30〜40米程遅れだす。体は疲れてないんですがピッチが上がりません。
朽木古屋(朽木西小学校前)AM8:58 30943歩 海抜520米     朽木南桑原 AM10:11

写真のような道を遥か彼方の「京の都」を目指して黙々と・・・・・
ここ南桑原で初めて「人」に出会う。
「どこから?」
「小浜から・・・山越えてきました!」
「ほんとかいな??」
あとは・・・・笑っておられました。
前を行く・・・・中西氏と浅井氏
遅れてるのに・・・・管理人余裕??
朽木平良の山村風景。AM10:40 40883歩 海抜455米
「美山」を連想させるような情景でした。そして我々の心の浄化となり、疲れを癒してくれるような静かな残雪のある景色でした。
朽木小川 AM11:20 45513歩 海抜410米

朽木平良の集会所前あたりで間食をとる。
浅井君は、自家製の「カリンジャム」を・・・・うまかった。
私は、昨日小浜で買った・・・・「出し雑魚」を・・・。
浅井君も「出し雑魚」を取り出す・・・
なんか・・・他人が見れば面白い風景だったろう??
ほとんど無言で「おにぎり」を食べ「出し雑魚」を食べてるんですから・・・

要するに、朝食もそうでしたが・・・・ゆっくり喰ってる時間が
なかったわけ・・・・。

右の写真は先を行くお二人さん。朽木小川にて。


朽木渓流魚センターを対岸にみて、ただ無言で黙々と歩く。
相変わらず、中西氏、浅井氏は50米ほど先を歩いて・・・・・たまに私の方を・・・何故か振り向いてくれます。
ここら辺りから「小雨」がぱらついてくる。

久多川合町に到達したのが・・・AM11:50分 48778歩 海抜400米
この分岐点は東に行けばR367梅の木方面。我々は、久多峠を目指し、逆の広河原線が走る西に向かう。

久多の駐在所に着いたのが・・・・12:20分 52812歩。海抜450米。
いよいよ「雨」が降り出してきたので、今回の行程で初めて屋根の下に三人が入り、昼食をとる。
つまり、駐在所の中での食事でした。
知り合いの「藤波巡査部長ご夫妻」はお留守でしたので、メモ書きを残す。

そして・・・・・・我々三人はいよいよ久多峠越えに出発する。
この頃から雨脚が激しくなってきました。
R38号線(広河原線)に到達したのが・・・・
15:00 67273歩 海抜575米
やっとここまで来た!
しかし、雨は本格的。正直私は疲れてきた。
何故なら、この辺りは「車」でよく来る場所。これからの行程は頭の中で分かっている。
前方に見えるR38を左折して、次は「花背峠」を越えなければならない。

ここら辺りでは完全に三人は沈黙の状態で歩行。
時折、車の水しぶきを受け、ひたすら歩く。
周囲が薄暗くなりだしてきた。
久多峠 14:05 60175歩 海抜770米
久多の駐在所を出てから、「久多峠越え」は今回の行程での最大の高さを登る。
高低差は約320米でした。
16時20分。
花背大布施で三人は協議の結果、この地点で今回の「鯖街道」歩行を終わる決断をする。
当初の目的地「出町柳」までは時間、天候(雨)、疲労度からして無理と判断。
しかし、ここまで歩けたことは「万歳!」でした。
三人とも充分な満足の「旅」でした。
13時間半、総距離約58キロ、7万7千歩。